皆さん、はじめまして!
わたくし40代過ぎの男性『陽介(ようすけ)』と申します。
このページでは、私がレーシックを受けるまでの赤裸々な告白と、その時その時感じた本当の気持ちをできるだけ正直に書いていきたいと思っていますので、よろしくお願いします。
私が視力が悪くなったきっかけ
私の子供の時代はテレビゲームが流行していたせいもあって、だいたい中学3年生くらいにはもともと1.5くらいあった良い目もどんどん悪くなり、高校では授業はメガネを装着しないといけなくなりました。
小さい頃はお月さんのクレーターとかが見えていたのを記憶しているんですけどね(笑)
青春といいますか、一番元気な20代のときでもことあるごとに裸眼やメガネにとっかえひっかえだましだまし過ごしてきました。
私の兄はそれこそ幼稚園の頃から分厚いメガネをかけていたので、周りから浮いてしまいいじめられていたトラウマもあるので、私より目の悪い人はもっとつらい思いを経験してきたとお察しします。
ちょうど20代の頃からちまたでもコンタクトレンズがブームになってきて、私もさっそくハードレンズにチャレンジそてみましたが、あまりの異物感に涙がポロポロして、一ヶ月も持ちませんでした。
原因は、
私はすぐ目をかいてしまうクセがある
花粉などのアレルギーがある
コンタクトレンズを洗うのを忘れてしまう
といった感じで、コンタクトを洗っているときに洗面台に落として、拾おうとして割ってしまったり、そのまま流れていったこともあります(笑)
視力はどんどん下がっていく
視力はどんどん下がっていくといいますが、そういう実感は免許の更新や新しいメガネを作るときに再認識させられるんですよね。
現在、私は両目とも0.01くらいです。
20代、30代はもうあきらめて、なるべくカッコイイ眼鏡を探してずっと装着していました。しかし、今はメガネコンプレックスがまた再発し、メガネをつけていない幼少期を経験しているせいか、どうしても眼鏡をつけている自分が別人に見えてしまって悩んでいたのです。
私がそう思っている反面、友人からは『眼鏡つけていても、つけてなくても全然変わらないよ』と言われたこともありますが、それでも眼鏡はできるだけ、かけたくなかったんです。
40代に入ってからは、危険も承知で外出の際は、なるべく裸眼ででかけるようにしました。
最近ではやはり年齢のせいか、残りの人生の過ごし方を考えるようになり(父親が43歳で他界しておりますので)、あと10年くらいを念頭において計画をたてたら、やはり死ぬまでに裸眼でよく見えるようになったら、素敵な10年が待っているのでは?とことあるごとに思うようになったのです。
レーシック手術という選択
私ら40代より前の世代の人たちにとって、レーシックって悪い評判しか聞いたことがなかったんですよね。
なかば人造人間手術のようなイメージだったので、とても手術を受けたいとは思えず『あやしい』としか考えていなかったです。
よくタクシーの後部座席に座ると前の座席の背もたれに『自衛隊が推薦しているレーシック』の広告チラシがよく置いていましたね。
でも、皆さんもそうだと思いますが、最近の技術の進化はいちじるしいようで、ちまたでの口コミでレーシックにしてよかったという声がけっこう周りから聞こえてくるようになりましたよね。
確かになかには『感染症にかかった』という書き込みもたまに見つけますが…
そして、私がとうとうレーシックを受けようと決心したのはいくつかの要素が重なったからです。
ひとつは
尊敬する人がレーシックを受け細かくレポしていたこと
です。
その方は現在、世界を自由に飛び回っているビジネスマンなのですが、レーシックを2年前に施術されその後の人生や世界観がめまぐるしく変化されていたことをその人のブログを通してまのあたりにしました。
彼の日記にも書いていましたが、彼の場合は目の角膜が人より薄かったため、その補強に焼きこてのように分厚く固めるために普通の人よりかなり苦しんだようです。
当時の彼のブログには、目がしみる、目がぼんやりしてパソコンが見えない感覚が一ヶ月くらい続いたみたいですね。
そういう現実的な情報を知って、『角膜が薄いとレーシックには不利』ということをおぼえました。
つい先日、その方に直接お会いする機会があったのでその件を聞いたら『今はもうなんともない』とあっけらかんと話されていてその堂々とした様子とメガネなしの裸眼で行動されている姿に深く感銘を受けました。
私なんて海外にいっても、メガネをつけたり外したりを繰り返し気が付いたら空港で詐欺集団に囲まれているということも経験しました。
たぶんメガネって日本人の特徴でもあるんでしょうね。
そういうことから、私の心の中には
いつか大きなお金が入ってきたらレーシックを受けよう
という大きな夢がここ数年で育まれていったのですね。
